宗派の基幹運動は、2011(平成23)年の親鸞聖人750回大遠忌に向けて、 2006(平成18)年度より新たな三ヵ年計画をスタートさせます。それは「門信徒と僧侶が課題を共有」と「御同朋の願いに応える教学(御同朋の教学)の構築」を基本方針とし、重点項目に「門信徒会運動の推進」「同朋運動の推進」「開かれたお寺・教団」の三点を掲げたものです。東京教区はその願いにそって、宗派の基本指針と重点項目をそのまま踏襲することといたしました。具体的な取り組みにあたっては、男女共同参画をさらにおし進めながら、社会状況と教区の事情を十分に鑑み,より効果的に運動を推進してまいります。
『親鸞聖人750回大遠忌についての消息』にお示しの通り、一人ひとりのいのちの根本がゆらぐ現代の危機的状況にあって私たち念仏者は、浄土真宗のみ教えがこの混迷の時代を導く灯火となるべく、広く伝わるよう努める責務を負っていると言えましょう。その自覚のもと、より的確な伝道のためには、男女共同参画をさらに進めるとともに、門信徒と僧侶のそれぞれの視点と立場が尊重され、活かされることが求められます。
この認識のもと、東京教区は新たに「教化団体活性化部会」を設置し、特に仏教壮年会の新規結成を促すとともに、この先、数年間で大量に定年を迎える団塊の世代へのアプローチを志向することなどにより、時代の課題に応えてまいります。
また、門信徒と僧侶の接点として、法要儀式の重要さをあらためて認識するものです。特に都市部において法要儀式の簡略化が進んでいるのは、従来の法要儀式のあり方への批判とも受けとめられます。 現代における法要儀式の意味と位置付けを改めて確かめると同時に、法要儀式が伝道・布教と直結するものとなるべく、差定、表白、法話、讃歌など、多岐に渡っての研究を進めます。
一方、教団外に目を向けた時、戦火の絶えない今日にあって、非戦の願いは門信徒・僧侶の立場を超えて希求されるものです。 東京教区では「千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要」に併せて「平和のつどい」を開催し、門信徒・僧侶、そして教団外の方々とも非戦の願いを共有する場をつくるとともに、NGOなどの協力を仰ぎながら、平和実現の前提を作る議論をさまざまな場で積み上げる努力をいたします。 また、国内の青少年問題に対しても、教化団体の連絡提携及び他団体との協力関係も築きながら取り組んでまいります。
お念仏は混迷の時代を導く灯火であると私たちは確信します。 しかし、現実に現代社会において、また、現代人にとって、念仏が灯火と成り得ているかと顧みれば、心もとないのが率直な感想と言えましょう。 その原因は多岐にわたるものと思われますが、ここではその一つとして、布教する側のことばの問題を提起いたします。 東京教区では従来、「仏・法・僧(僧伽)」の三宝帰依の立場に立って、教団と教学を自らの課題として担うとともに、「正しく、分かりやすく、ありがたく」を基本とした学びを深めていくことを目指してきました。 これは今後も踏襲いたしますが、ややもすると「分かりやすく」が専門用語の言い換えに留まっていないかとも振り返っておきたいことです。
ひとつ具体的に「すくい」を考えてみましょう。「そのままのおすくい」「まかせよすくう」などは、布教現場では頻繁に使われる表現ですが、これらの表現に安易に頼りがちな私たちではないでしょうか。ここでひとたび立ち止まり、私たちが「すくい」の内実をどのようなものとして語っているか、そしてそれは聴聞をされている方にどのように受け入れられているか、さらには、教学が脳内遊戯的・暗記式・思考停止型になってはいないかを見直すことは、御同朋の教学の構築の課程で重要な意味を持つものと考えます。
今年度、東京教区基幹運動推進委員会としましては、教区内各組の各種研修会におきまして、「自らのことばで語る」ことを主眼として開催されることを望みます。 各人が各人の身を通してみ教えのいただき方と悩みと喜びを語り、思いを交わすことは、必ず御同朋の教学の構築への大きな寄与となるでしょう。 各組での研修の成果は年度末にひとつの形として集約することも考えています。
以上